8月になって2週目の日曜日の今日、岸和田春木地区宮本町だんじり撮影して来ました。春木宮本町のだんじりの最大の魅力は、なんといっても彫刻が全て源平物語で統一されている点です。特に注目したいのが番号持 琵琶法師 この琵琶法師が語り継ぐ数々の名場面が、地車全体の彫刻として見事に表現されています。
春木宮本町のだんじりは、素材にも並々ならぬこだわりがあります。用いられているのは、日向綾産の最高質原木2本選び抜かれた原木から作り上げられた精巧な彫刻の融合は、まさに春木宮本町ならではの誇りと言えます。
宮崎県の日向綾は、日本最大級の照葉樹林が広がる地域と知られ、銘木(良質なケヤキなど)の産地としても非常に有名です。
正面から見る姿は美しく気品があり、細部まで施された彫刻の美しさに感動しました。
土呂幕(正面)清盛怪異を見る源平のドラマチックな名シーンが緻密に彫り込まれており、どこから見ても圧倒されます。
今日は貴重な時間に撮影さしてもらってありがとうございます。
令和8年7/19(日)新家町だんじり
泉佐野市新家町へ新たな歴史が刻まれる。令和8年7月19日 新家町だんじり搬出と岸和田内畑町下出のだんじり搬入 真夏の強い日差しが照り付ける炎天下の中で行われた搬出と搬入作業。暑さを忘れるほど多くのだんじりマニアや関係者が集まり、現場は終始熱気に包まれていました。
新家だんじり 昭和8〜9年岸和田山直方面で新調その後熊取紺屋、貝塚市窪田を経て、新たな活躍の場となる新家へ

そして令和8年、新家町は新たな一歩として、岸和田山滝地区内畑町下出だんじりを現地車のまま迎え入れることとなりました。2台のだんじりが並ぶ
長い歴史を受け継ぎ、新たな新家町で祭礼文化を支えて行くだんじりこれから新家町のだんじりとして、多くの人々に大切に受け継がれることでしょう。
新家町先代地車の搬出風景 今日はあまりの熱さで携帯も起動しなくなるほどの気温 携帯の異常は私だけではありませんでした。デジタルカメラで撮影
令和8年7/12(日)岸和田旧市堺町地車
岸和田旧市.堺町だんじりを撮影夏空の下で見る大正14年新調地車令和8年7月12日
真っ青な青空の下、姿を現した堺町地車。祭礼本番のような激しい曳行風景とはまた違い、こうして明るい陽射しの中でじっくり地車を見る事が出来る機会は、だんじり好き、そして写真を撮る者には非常に興味深いものです。
この日は岸和田テレビの撮影があり町の方々がインタビューに答えられていました。
堺町地車の大きな特徴の一つが、鳴り物の鉦を正面、番号持ちのすぐ後ろに配置する独特のスタイル。現在の岸和田旧市では堺町ならではの鳴り物配置として知られています。
動のだんじりも良い。静のだんじりもまた美しい。百年の時を重ね、岸和田の町に受け継がれる堺町地車。
令和8年7/5(日)阪神基地隊サマーフェスタ
令和8年7月5日、海上自衛隊阪神基地隊で開催されたサマーフェスタ2026年へ行って来ました。
当日は朝から曇り空で雨が降ったり止んだりのあいにくの天気。それでも多くの来場者で賑わい、会場はとても活気がありました。今回一般公開されていたのは、海自輸送艦くにさきと陸自輸送艦にほんばれ
イベント終了してから人がはけた写真になります。 くにさき8.900トン





甲板上にて


陸自輸送艦 にほんばれ 新鋭艦2.400トン




エアークッション艇2回目の走行実演この後くにさきの後部ハッチに入りました。にほんばれから撮影
普段は立ち入る事が出来ない基地を見学でき、輸送艦の迫力や海上自衛隊の活動を身近に感じられる貴重な体験でした。私達が安心して日々の生活を送る事ができるのは、国を守り、人命救助や災害派遣など昼夜を問わず任務にあたる自衛官の存在があるからこそだと、改めて実感しました。厳しい訓練を重ね、使命感を持って職務に尽くされる自衛官の皆様に心より敬意と尊敬と感謝を申し上げます。
令和8年6/21(日)岸和田別所町地車入魂式
令和8年6月21日 岸和田旧市地区の別所町にて執り行われた地車修理入魂式.お披露目曳行を見学して来ました。
町内には独特の緊張感と高揚感が漂い、多くの地車ファンや地域の方々が見守る中、大修理を終えた別所町地車が晴れやかに姿を現しました。
修理を終えた地車が街中を進む姿は堂々としており、別所町関係者の皆様の喜びと誇りが伝わって来ました。


今年度初の岸和田旧市の入魂式、終了後地車庫にて撮影しました。別所町地車大正9年1920年岸和田市春木南新調 平成11年1999年別所町が購入 平成14年5/19地車入魂式 約39年ぶりに岸和田地区祭礼へ復帰

今回の大修理によって、別所町地区はさらに美しい姿となり、これからも地域の誇りとして受け継がれていくことでしょう。

雨にもならず、今日の天気は神様に祈りが届き素晴らしい天候になりました。
天正10年6月15日安土城が燃える。
安土城は、織田信長の権威と理想を形にした、まさに時代を先取りした名城でした。金や朱色を大胆に用いた華やかな外観は、戦国時代の城としては異例の豪華さを誇り、人々を圧倒する存在感を放っていました。
特に最上階に設けられた金色と朱色の装飾は、信長の天下統一への強い意志を象徴していたと言われています。天守を中心に据えた斬新な設計は後の城郭建築にも大きな影響を与え、現代の視点で見ても洗練されたデザイン性を感じさせます。
約450年前に築かれた城でありながら、その美しさと独創性は色褪せること無く、今なお多くの人々を魅了し続けています。信長の美意識と革新性が凝縮された歴史的建造物だったのです。
天下統一を目の前にした織田信長の象徴.安土城。本能寺の変からわずか13日後の天正10年6月15日.絢爛豪華な天守は炎に包まれました。なぜ燃えたか
(1)明智光秀軍による放火説安土城を占領した際に焼いたという説(2)織田方による自焼説光秀に渡すくらいならと、織田家の関係者が自ら焼いたと言う説(3)略奪者の失火説本能寺の変、後の混乱で城内に侵入した者達が放火した説 現在でもはっきり分かっていません。歴史の謎です。私の家にあるウッディージョウ高級安土城模型 戦国時代の城とは思えない鮮やかな装飾は、現代の建築と比べても見劣りしません。誰が火を放ったのか、何故焼けたのかは今も謎のままです。だからこそ安土城は、多くの歴史ファンを惹きつける幻の名城なのかもしれません。
令和8年6/13(土)
今日で我がブログトータル6万人の方々が見に来てくれました。ありがとうございます。これからも素晴らしい地車の写真を届けられるように日々精進します。
